児童期の記憶。小学校や自然環境。
自分の児童期と小学校、自然環境とのかかわりの記憶。
自分はどんな児童だったか。どんな環境の中で発達してきたか。学年と年齢は順不同、思いついた順に書く。
市内O小学校。特に、4年生10歳まで。いろいろなことをしたし、あった。
まるまる太っていて、運動は苦手、というか嫌いで汗かきの、自分勝手な児童だった。運動はやり方と、楽しさを知らなかった。
勉強は苦手で、読む、書く、計算する、すべて頭を動かすのが面倒くさいし、ぴんと来ないから面白くなくやりたくなかった。父さんは小学1年の時から毎朝7時まで、勉学に付き合ってくれた。
入学のとき、簡単な言語と色彩のテストをやったが簡単すぎて余裕だった。しかし自由に絵を描いてくださいを言われて紙を渡されたが、描けなかった。ほかの人は皆描いていたので、恥ずかしかったが、どうすることもできなかった。
入学式のときは、僕も心は高ぶったが、それよりも親の方が大変そうだと思った。厳しい先生は嫌だと思った。ランドセルは慣れなしいし、恥ずかしかった。天気のよい入学式だった。入学前にランドセルを買いに行くくだりは面倒くさかった。勝手に買ってきてくれてもいいのにと思った。
女子と隣同士の席というのも恥ずかしかったし、何を話せばいいかもわからなかった。授業の中でお互いの似顔絵を描くというのがあったが、ぜんぜんかけなくて恥ずかしかった。
クーピーの色の使い方もわからなかった。一度、人を赤で塗りつぶしたことがあって、先生に呼び出しをされたことがある。マッチで勝手に火をつけて問答無用で怒られたことがある。
校歌はなぜか昔きいたことがある気がした。放課後、学校に残ってグダグダする時間が楽しかった。縄跳びはやってみると、思ったよりは簡単だった。球技は相変わらず苦手だった。春の川の水は温かいものだと思っていた。
なぜか人の下について子分ぽくなることが多かった。でもすぐにうざくなって嫌になった。最初は楽だったのだろう。友達の作り方や、人との距離の取り方がわからなかったのだろう。
「大丈夫大丈夫」が口癖で、怒られたことがある。
人の家のものを勝手に捕ってきて、泥棒と言われたことがある。悲しかった。クラスメイトのマウンテンバイクがうらやましかった。スピードで勝てなかった。ゴジラとかの映画が大好きだった。この先の人生のことを考えると、長すぎて気が遠くなって面倒くさくて、ちゃんと乗り切れるか不安で、嫌になった。今を一生懸命やることを知らなかったのかも。自分は養護学校に行くのだと思ったこともある。みんな遊んでて楽しそうにみえたのかも。不思議なことにせっかく仲良くなった友達は、みんな転勤族だった。悲しかった。連絡網の電話番号が間違っていることに数年間、気づかなった。クラスメイトにお前の家につながらないと何回か言われた。でも逆に連絡網を見て電話を掛けることは好きだった。何人か。なんだったんだろう。スイミングスクールしかたなく行ってた。なぜかこのくらいのころから、人と違うことをしたいとか、人と同じでは嫌だと思うようになっていた。(たぶん個性がないと言われたことがあるからだと思う。)
二年生の時に担任が変わった。ノートを提出した時に、「ほかの児童はあなたの2倍くらいの書き込みをしてるよ」言われて、恥ずかしい思いをした。勉強は基本的に嫌いだったのだと思う。鉛筆の芯を何回もおり、消しゴムにさし、怒られたことがある。友達のハイテクな筆箱や、光るランドセルがうらやましかった。
急に目が悪くなり、メガネを買うことになったが、恥ずかしくて、どう表現すればいいかわからなくて困った。言葉の使い方と表現方法がわからなかった。学校ではおもしろいキャラで家庭では癇癪を起すことを繰り返していた。おねしょは治らない。
冬にクラスメイトの靴をわざとかくして怒られたことがある。表現方法がわからなかったのだろうか。それか嫌味か。
戦いごっこは好きだった。
周りはゲームやキャラクターの話をしていてついていけなくて羨ましかった。
学級会の時間が好きで、発言するのが好きだった。
宿題をするのが嫌いだった。先生の話を聞けなくて、連絡事項は伝達することができなかった。どうすればいいのかわからなかった。
3年生の時にクラス替えがあったが、担任は変わらなかった。
やはり、誰かの子分的な位置に落ち着いた。なんなんだろう。
何もかもが当然だけど初めてで、戸惑いばかりだった気がする。
特撮ごっこをしているときに着地に失敗し、足の骨を折ったことがある。恥ずかしかった。
そろばんも見取り算がぜんぜん合わないから大嫌いだった。たぶん集中力がなかったのだろう。
このころぶくぶく太って泳げなくなり、スイミングを辞めた。で、陸上部にあとから入った。
ミニバスサークルに入った。楽しそうだったし、かっこいいと思った。が、ボールはどうやっても感覚が身につかなくて、結局おもしろみはわからなかった。
ただただ、運動会は嫌いだった。走るのが遅いし、短パンをはきたくないし、転んだら痛いから。転んで怪我した後、どうすればいいかわからなくて泣いたことがある。
風邪を引いたら、呼吸が苦しくなる。
給食は相変わらず好きで、残さずに食べていた。
ふりかけごはんを混ぜるか混ぜないかで、僕はまぜるのが好きだったが、クラスの女子から汚いといわれてできるだけ混ぜなくなった。
登下校中、近道と言って、遠回りをして、裏道を通った。いろんな自然があった。
学校に着ていく、まともな私服がなかった気がする。
ミニ四駆、びーだマンは流行った。あと、釣り。お金がかかった。かかった割に何も良くはならなかった。自己満足。
音楽よりも劇をやる方が好きだった。
スラムダンクの流川のような才能も有り努力も惜しまない2枚目のキャラクターが好きであこがれていたし、なりたかった。
跳び箱跳べなくて泣いた。スキーも滑れなくて泣いた。
校外学習や課外授業では、山の高原が多かった。何回も行って飽きた。レクリエーションなどをそこでやった。アケビをとって食べておいしかった。あと、有名な公園、学校の周り(当時は田んぼや沼や草木が生い茂っていた。)どじょうやタニシやザリガニやカタツムリやメダカがいた。冬はスキーで田んぼのなかを歩いた。学校の裏にたくさんの気が生い茂っていて、グミやスグリがあった。
家ではテレビ好き、NHK教育テレビは6年生のころまで見ていた。特撮ヒーロー、アニメ、漫画、土9のドラマが大好き。恐竜、宇宙、オーパーツ、世界の不思議、そういうのが好きだった。雨の日曜は外に出られないからきらいだった。夏の甲子園と選挙と野球もテレビ番組が変わるから嫌いだった。マンガ本は嬉しかった。後にリサイクルショップに行くのが好きになったのはここからかもしれない。ババは、あがしっこの上げ方を教えてくれた。でもまじめにやるのは気恥ずかしかった。
暇があったら自転車で公園に遊びに行っていたと思う。ブランコ大小、滑り台、ジャングルジム、砂場、鉄棒は腹筋が痛くなった。うんていにぶら下がった。上り棒に上れたことは一度もない。でも楽しかった。
弟が新しい箸を買ってもらって、羨ましいあまり、自分の箸を折ったことがある。
最初の1万円のお年玉をもらった時にかったのはケロッピの腕時計。
父さんと一緒に幽遊白書の映画を見に行く前に、発煙筒を発火させて大反省したことがある。
車のシガーライターを指に着けてみてやけどしたことがある。危ない。
ある一年だけ、あっという間に過ぎた年があったがいつなのか覚えていない。
また99分という時間もあっという間に感じたときがあったが、なにをしていつときだったか覚えていない。
秘蜜基地づくりをいろんなところでした。勝手に物をもってきて怒られたこともあった。
海辺で、貝殻を見つけて空き缶の中に入れたら皆生きててショックを受けたことがある。
同じく、どんぐりも。
物を捕ることは多かった。テレビ番組の影響もあったと思う。
物の分解と電気関係の実験が好きだった。
自転車は好きだった。
どぶに落ちてどろどろになったことが2回ほど。
公園で泥まみれになって、靴がどろどろになったことは何回か。
動物のフンを踏み、臭くなったことは三回???
犬にちょっかいを出して太ももをかまれたことは一回。その次の日、熱が出た。
ハチの巣にちょっかいを出して頭を刺された。驚いた。痛かった。だれでも一度は経験するのか?
とんぼ?に耳をかまれて虫が嫌いになった。
毎年夏のキャンプは楽しかった。
家族と一緒は楽しかった。
相変わらず、お化けは嫌いだった。
てれびが好きだった。バラエティ。
ペットを飼いたかったが、無理だった。