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bitter_sweetけんりょうblog

徒然としたメモ,災害時連絡用として。

私のつぶや記。

その会社は。。。

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その会社は。。。

毎週一回が定休の某販売店。営業職。一般、法人客ともに対象。

 

頑張った。とにかく一生懸命だったとは思う。生活のほとんどを投じた意識はある。7年間。ただ芽はでなかった。これはしようがない。いろいろと自分には足りない部分が多すぎたと思う。地域がらのせいでなく、会社のせいでもなく、自分の力不足だ。うまくやる人はうまくやっていた。たしかに入れ替わりの激しい会社だったが、やれる人はやる、うまい人はうまい、人間関係構築能力。そこには商品が好きかどうかはあまり関係ないのかもしれない。そのトークと振る舞いで、お客様と上司から信頼を勝ち取り、販売にうまくつなげていく。たまには非常にグレーゾーンのこともするが、その後処理がうまくてスマートに速く仕事を片付ける。

そういう意味ではプロのスポーツ選手みたいな感じがする。できなければ信頼がなくなり戦力外か、解雇になる。

 

「石の上にも3年」という言葉が本当なのか試したい気持はあった。自分がその世界でどれくらいできるのか、結果は散々。人には向き不向きは非常に重要な要素なんだろう。いいかげんに仕事をしていたわけではないが、逆に本当に人生かけていたかというと、わからない。でも自分の中では一生懸命だったし、つらいものだった。

できる人はすごい。家族持ちでも子どもがいても、遊んでいるように見えても売れる。いろんな経験をしてきている人達だから、トークも面白く、人間的魅力もあるのだろう。

 

ただ自分自身、終身雇用みたいにずっと長くこの会社にいたいとは思わなかったし、長い人生何があるかわからないし、いつかは何かのタイミングと理由で辞めることになるのかなとは感じながら、でも、そんなことは遠い先のことだろうからと、毎日毎週の日課をこなした。

 

入社当時、就職難といわれてた中でも珍しく求人の多い年だったらしい。とんかつ屋か販売業か、迷った後に、あえてキツイ方を選んだ。長い人生だし、挑戦してみたいと思った。大企業の看板を背負ってみたかったし、業界の中を見てみたいとも思った。どんなつらいことが起こっても、簡単には辞めないと決めて入社した。妥協して、これくらいでいいかという意識で進路を選択することはもう、したくないという気持ちがあった。その方が絶対に人生が楽しくなるし、たくさんの人生経験のある大人になりたいと思っていた。新しい土地もロマンチックで良いイメージしかなかった。

不安は当然あった。明確な感覚ではなかったが、その会社に年明け前に面接に行ったとき、初めて会社訪問をしたときに、照明は明るいはずなのに、雰囲気が暗くて低くてどんよりしたものを感じてはいた。でもその感覚が何かはわからなかった。

 

6年間は寮生活だった。安かったし、初めて住む土地だし、とりあえずは社会人生活に慣れようと思った。寮は古くてボロボロ。部屋は6畳のワンルーム。食堂、風呂、トイレ、洗濯機が共用。家賃が安いこと以外は、お世辞にも良いところは見当たらない。が、僕には十分すぎる環境だった。少し肌寒くても心地よい春の風が吹く、海の近い土地が新鮮に思えて生活が面白かった。

寮には同僚が3人いた。毎日が合宿みたいで新鮮だった。仲は良かったと思う。毎晩誰かの部屋に集まっては酒を飲み、音楽や車の話をした。その境遇には本当に感謝だった。

 

当時、グループ全体では、100人くらいの新入社員がいた。入社前から時たま、研修として、全員と顔を合わせ、ディスカッションや、社会人の基礎的マナーや、仕事の意義などの講義を受けた。僕はそういう場は苦手で嫌いで緊張したし、なんといっても休み時間に誰とどう過ごせばいいのかがわからなくて苦痛だった。ちなみにその100人は3年経つと、半分になっていた。

 

仕事面では、初めの2~3か月はほぼ、社内研修だった。例年になく、ちゃんとした新人研修を行った珍しい年だった。入社人数が多かったからなのだろう。僕にとっては幸運だった。商品知識のない僕はそこで商品の構造や、なんとなくの雰囲気を感じ取ることができた。

でも、ここでも不安が。やはり休み時間は何をすればいいのかわからない。そして同僚と何の話をすればいいかわからない。というか人が何を考えているのかわからない。そして、人の話の要点を聞き逃してしまう。焦る気持ちもあったのだろう。

 

新車を買わなければならなくなった。仕事で使うからである。人生で何番目ともいわれる大きな買い物なので、不安だったが、限られた車種の中から選ぶことは決まっている。もともと自分は、中古車や軽自動車で十分と思っていた節があったが仕方がない。あまりリスクを背負いたくなかったが、できるだけ安い中でもかっこいいものを選びたかった。悩んだ末、VのRSにした。比較的かっこいいから満足だった。細かい書類は上司が手際よくやってくれたから、どんな手続きをしたかは覚えていない。買うこと自体は特に面白いことはなかったと思う。が、不思議なもので、現車が手元に来たらうれしくて、ワックス洗車をしたり、社内装飾をしたり、HDナビにたくさんの音楽を入れた。夜な夜な同僚とドライブに出かけた。小さい町の中をちょこまかと走り回ったのはとても楽しかった。

 

仕事面では、7月から正式に営業を始めたと思う。そんな時にちょうど直属の先輩が退職することになり、そのお客さんを引き継ぐことになった。当時24歳くらいのお子さんの生まれたばかりのお父さんだった。理由は子どもの顔を見たときに、この仕事は続けていけないと思ったと言っていたのが印象的だった。仕事は楽しかった。当然、すぐには売れなかったが、必ず何とかなると信じて、でも、無造作に動き回っていた。

思い出したくない程の恥ずかしい失敗を何回もして何回も怒られて呆れられた。でも疲れるけど、充実もしていたと思う。9月に事故。思いがけなく、車はAになる。これも気に入っていた。たくさんの先輩と上司に迷惑をかけながら毎日をすごしていった。夜に寮に戻ると、いつもの同僚がいた。

 

売れば売るほどインセンティブが入るという営業。確かにそうかもしれない。先輩、上司たちはよく、飲みに行ったり、パチスロやゲームをやったりする話をしていた。バイクや釣りやゴルフを趣味にしている先輩もいた。ただ気になるのは、たばこを吸ったり、メタボだったり、体調を壊している人はいた。あと、夫婦仲がよくないとか。先輩がみな辞めたいと言っていたのも気がかりだったが、自分はまじめにやってさえいれば必ず大丈夫だと思っていた。

仕事内容は(予想どおり)完全ノルマ制だった。基本給はあるが、ノルマ以上の仕事をすれば、インセンティブが入る仕組みだった。たくさん売っている先輩は月に10万円くらいはあったのだろうか。夢は膨らむ。

 

営業、現場、事務、管理職の連携は必ずしもスムーズではなかった。(が、これは個人同士の人間関係力が大事だったのだろう。)それが原因でのトラブルは何回も見た。責任のがれも見た。

直属の先輩と上司の連携もよくはなかった。(これも個人の技量の問題かもしれない。)売れないと信頼もされないし、ギクシャクの原因になる。自分はそのせいで仕事がうまくいかなかったのかな。必ずしも一人一人がいうことは同じではないのも、最初は混乱をした。

暴力的な先輩がいた。自慢ばかりの上司がいた。やさしいけど力の発揮できない上司がいた。うまく力を抜いてトーク力と頭の回転で上司の機嫌を取る人もいた。抜群の接客対応のできる人もいた。責任を逃れる上司もいた。他人をののしる姿はよろしくはない。効率中毒のような上司もいた。他人の揚げ足取りに奔走する上司もいた。頭の良い人は、責任問題を問われても大丈夫なように事前に根回しをしておく人もいた。これは尊敬できる。業者関係もそう。横の人間関係をいかにうまく作れるかが勝負だったのだろう。

 

中間管理職は大変だったろう。僕みたいな部下がいるから。いろんなトラブルもある。

 

やはり正確な数字が月末、期末は非常に大事になるので、売れる人は優遇される。これもよいのか悪いのかわからない。

 

基本的に、このような仕事は、できる人は続ければいいと思う。

私には向いてなかったのか。残念ながら続けられない仕事だったと思う。

悪い意味ではなく、向き不向きというのはあるのだろう。

商才や、営業力、計算力、人間関係構築能力、コミュニケーション能力のある人は非常に適してる仕事だと思う。

そういう人は最短距離での出世と、高い給料が保証されてると思う。

事実、トークが面白くて切り返しも鋭い人は良く売っていた。

おそらくそういう人たちは今後もその業界で非常に活躍していけると思う。そして応援もしている。

 

今このような状況になって。今後を見据えるとして。自分としては、ズルさは必要かもしくは必要悪で。

大切な生き残る術。そういうところを鍛えていかないと。